冒険家 荻田泰永さん Interview

POLER EXPLORER to the Poles

北極から南極へ 未知なる世界への 挑戦

 

広大な氷原をただ1人、流れる氷河や氷の壁を超えて北極点を目指す。荻田泰永さんは冒険家だ。ポーラーエクスプローラー(極地探検家)の中でも荻田さんが特別なのは、たった一人で物資の補給を受けずに歩き切る「北極点無補給単独徒歩到達」へ挑戦を続けていること。その荻田さんが新たな冒険に挑戦し、日本人初の「南極点無補給単独徒歩到達」を達成した。日本初の南極観測隊が誕生して60年、日本人初の「北極点&南極点無補給単独徒歩到達」を目指す荻田さんに、冒険の理由とアウトドアウエア「ポールワーズ」を選ぶ理由を聞いた。(※編集部注=インタビューは、南極点到達前に行ったものです。

荻田さんの冒険は2000 年に北極圏(カナダ・レゾリュート)から始まった。流れる氷の上を単独で徒歩で行く道のりは、孤独で危険な旅。装備は「ポールワーズ」と共同開発したウエアなどグラムレベルの軽量化に挑み、「北極点無補給単独徒歩到達」という挑戦に荻田さんは挑み続けている。photo by Yasunaga Ogita

 

未知への挑戦、すべては頂点に挑むために

「じっとしている訳にはいかなくて、南極行きを決めました」。まだ暑い夏の日のインタビューで、荻田泰永さんは笑顔で語ってくれた。北極冒険家として知られ1人徒歩で北極点に挑んできた荻田さんは昨年末、「南極点無補給単独徒歩到達」という冒険に挑戦した。

  

南極点は南極大陸のほぼ中央、数十万年をかけて雪が降り固まった分厚い氷床の標高2800メートル地点にある。太陽が出ない3 9月の冬季を超え、白夜が続く11 2月の夏季であっても気温はマイナス25度~マイナス50度の「極寒の世界」。幾重にもクレバス(氷河の亀裂)が走り、南極特有の重い強風「カタバ風」が吹き下す中を、荻田さんはたった1人で歩いた。出発点は南極半島の付け根の西岸「ヘラクレス入江から、エルスワース山脈(南極最高峰ヴィンソン・マシフのある山脈)の山腹をかわし、南極横断山脈を超える」。常に南極点に向けて登り続ける1130キロの大冒険だ。

 

北極点に続き南極点へ、公転する地軸の最南端へ挑戦した理由を、荻田さんは「未知への挑戦への気持ちの高まり」と語る。「北極の冒険の途中にも、いずれは南極にも挑戦したいと考えていました。2つある極地のもう片方(南極)ってどんなところだろう? どんな風景かいつか見てみたい」。「アムンゼンもスコットも、植村(直己)さんもそうだったように、そこに南極点があるから行ってみたい」。新しい世界を見てみたいとの思いは日に日に大きくなり、荻田さんは初めての南極に、北極点と同様に「無補給単独徒歩」での到達に挑戦した。

 

北極圏をこれまで9000キロに渡って歩いた荻田さんだが、南極は「未知の世界」だった(実は、南には沖縄県・石垣島までしか行ったことがなかった)。これまで対策をしてきた揺れ動く海氷やホッキョククマへの準備は必要なく、北極とは別の知識や準備が必要になる。しかし、自身は「北極の時も最初はまったくの素人でしたから」と不安をみせない。

 

2000年に初めての北極冒険の時、荻田さんは海外渡航もアウトドア経験もない若者だった。以来、18年間で15回の北極行きを通じて「たくさんの冒険者や現地の方に知り合い、自分のできる領域を広げてきた」。「この氷はどう割れるのか、この気候の時はどうすれば良いのか。それぞれにちゃんと理屈があり、体で覚えたことが糧になってきたから」。これまで北極点にむけて、最大50日・合計800キロの冒険に1人挑戦を続けた経験が、南極点への挑戦の基盤となっている。「だからこそ準備と装備は大切で、限られた荷物の中で『ポールワーズ』は命を守るために、とても大切な味方となっています」。 

やるなら職人気質な、ザンターさんのような会社と

荻田さんの南極冒険を遡ること60年。19571月、日本で初めて南極大陸に到達した第1次南極観測隊に、羽毛装備を提供した会社がある。ザンター(本社東京)は日本初のダウンウエアメーカーであり、荻田さんが着用するアウトドアウエア「ポールワーズ」を、現在も南極観測隊へ提供し続けているダウンウエアのパイオニア。ザンターの常務取締役である苗加博治さんは「荻田さんとの出会いは、ポールワーズ自身が新しい冒険に出発する大きな転換点でした」と語る。荻田さんはポールワーズを初めて北極点無補給徒歩到達に挑戦した時から着用し、その後「冒険の度に改良点・修正点を教えてくれるパートナー」となった。そのリクエストには毎回、他の冒険者にはない驚きの発見があった。

 

荻田さんが冒険に持参するアウターは「たった1着」。破損や故障は命に関わり、絶対に避けなければならない。そのため、通常のアウトドアウエアでは必須装備である止水ファスナーを使用せず、厳しい天候や気温の変化に応じて自ら危機回避が可能なウエア構造を採用した。耐久性の高い素材とウエア構造を採用する一方で、ソリを引くためにアウターの中にハーネスが付けられるように穴をあけ、「衣服内が湿気で蒸されて汗がたまる危険」を解消した。北極冒険において「汗は大敵」でベンチレーション(換気)は命を守る必須機能。「通常の透湿防水素材のウエアだと多層構造のフィルム部分で水分が凍り、フィルムが剥離して破れてしまう」。今回南極冒険でポールワーズが荻田さんに提供した「ベンタイル アドベンチャージャケット」は「剥離の心配がなく体温調節もしやすい最高品質のアウター」となっている。

 

ダウンウエアはアウターを着たままでも着られる特別仕様にし、「休憩の時にパッと羽織って食事をしてお茶を飲んでフッと寝られる羽毛布団のようにした」。苗加さんたちダウンのプロから見ても「こんなに羽毛を入れていいのかな、という位、通常の物作りにはない発想」の製品を荻田さんは求める。「寒いところに行くには防寒だけをすれば良い訳じゃなく、体は猛烈に運動をするので上がった熱をいかに逃すかが重要。防寒の反対に、体を冷やさなければならないことも多い。同じ様に軽くしたいけど、一方で強度は不可欠。様々な二律背反の要望にザンターさんは本当に物凄く工夫をして応えてくれています」と荻田さんは感謝の言葉を続ける。

 

極地冒険において「衣類は一番最初に命を守るもので、自分の命を預けるもの」。そうした重要な衣類にポールワーズを選んだ理由を、荻田さんは「ザンターさんの職人気質(カタギ)なところが好きなので」と答えてくれた。極地冒険を知り尽くしたザンターの製品は、日本国内の工場による高い精毛技術や最新テクノロジーと同時に、熟練の職人技術の賜物だ。日本マナスル遠征登山隊や南極観測隊を筆頭に、日本の冒険黎明期からの輝かしい記憶や記録の数々を「町の工場のような企業が支えているところに魅力を感じています」と荻田さんは語る。「ぼくらが挑戦していることは、ある意味で宇宙や月に行くことよりも難しい。大きな目標を達成するならば職人気質なザンターさんのような会社と一緒に達成したい」と、荻田さんは笑顔で語ってくれた。(了)

極地冒険を支える最高品質のアウトドアウエア

極上のダウンと機能を詰め込んだ「 ポールワーズ」の傑作たち

 SYOWA STATION 1957

最高のダウンウエアの追求

南極観測隊が1957年に昭和基地を開設し、観測を続けて60年を迎えます。現存する当時のダウンジャケットを参考にリメイク。表素材にコットンのヴィンテージ感や軍用に用いられる性能を兼ね備えた高密度コットンウェザーを使用(VENTILE)着こんでいくことで、身体へ馴染んでいく感覚とコットンならではの使用感を堪能下さい。88,000税別

 

VENTILE ADVENTURE ANORAK

 常識を超えたテクニカルウエア

ポールワーズがサポートする冒険家の荻田泰永さんのアイデアを具現化、過酷な極地での冒険から得られた知恵と経験を凝縮したVENTILEを使用したアノラック。使いやすいカンガルーポケットやベンチレ-ションを配しています。オーセンティックなアイテムを現代版のデザインにしたアノラックです。38,000税別